榎土敦之のコラム「車」

車.jpg


僕が今乗っているのは、ハイゼットという軽バンである。
しかもマニュアル。
今年の2月に新車で購入したものだ。

その名の通り貨物運搬用なので、乗り心地という概念をほぼ無視して作られている感がある。

今時、窓を開けるのにレバーを回さなきゃなんない。
タコメーターがついてないんで、何回転なのかもわかんない。
イスなんかビニール製で、硬い硬い。
車内は外よりもうるさく、音楽なんか聞こえやしない。
なのに、リモコンキー。
わからん。

しかし、荷物は驚くほどいっぱい載る。
軽い一人暮らしの引越しなら、充分に対応できる。
ステキ。

この車を選んだ理由は、それまで乗っていた古い型のハイゼットが路上で故障し、持ち込んだディーラーにたまたま置いてあったからだ。
それだけ。
「修理にまたお金かかちゃうなら、買っちゃおう」
ほぼ即決。

僕が車を選ぶ基準は、デッカイこと。
この車も、一見ミニバンくらいにデッカイ。

ホントは92年のカマロに乗りたいんだけど、今は我慢。
あのアメ車特有の無意味に、そして無駄にデカイところが好きなんだな。

都志見さんは欧の車に乗っている。
そのメーカーの歴代のデザインの中で一番SEXYなスタイル。
長~~~~~~いボンネット。
だれでも、憧れる名車だ。

深井さんは、米のデッカイSUV。
これまた、何が入ってんの?ってくらいデカイ。

大陸で育った民族が考えるものって主張が強く、デッカイものが多い。
もちろんアメリカでもヨーロッパでも同じ。

広大な大地で種を残していく為に、雄・雌は遠くからでも分かるように大きく派手にアピールする必要があった。
一方、島国ではその必要はなく、逆に隠すことに色気を感じるようになった。

どちらが良いとか悪いとかではなく、それぞれの民族の特有性・趣向に大きく影響していることで、非常に面白い。

昔の国単位での生活から、地球単位での生活に変わっていく世の中で、“ヒト”はどんな風になっていくのかな。

な~んて。

大陸よりももっとデッカイ地球なのだ、主張はどんな形であれ、必要だ。
日本語の複雑さ・淫靡さを、逆に主張する。

先日の、都志見さんのコラムの中の一文で、思った。

たまには、頭を使うんだな。
僕は。