榎土敦之のコラム「もしもし」

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もしもし

この「もしもし」って慣習。
非常に都合のよい、利己的で、わがままな言葉だよね。

そもそも電話自体が、傲慢な道具である。
先日僕がヨッシーさんに怒られちゃったように、自分の都合なんて無視されて突然呼び出される。

そして、いきなり「もしもし」。
こちらとしては、「はい」としか言いようがない。
ここで「いや」とか「うるせー」とか、断ることはほとんどない。
立場的には、言っても全然かまわないはずなのに。

皆さんご存知の通り、「もしもし」は「申す申す」が変わったもの。
つまり「しゃべるぞ、しゃべるぞ」ってことだ。
そこには「話してもいい?」とか「きいてくれる?」とかの相手に伺いをたてる感情が一切ない。

まぁ、いきなりどんな相手にも言うことを聞かせる、魔法の言葉とも言えるが。

場合によっては、かかってきたのに、用事なんてないのに「もしもし(しゃべるぞ、しゃべるぞ)」なんて返しちゃう。
わけわかんない。

最近なんぞ、携帯で電波が悪く切れそうな時、「もしも~し!」なんて叫んじゃう。
電波を強くする、そんな機能はありえない。

一体、どういうことなのだろうか?
全くもって、けしからん!
日本政府は、「もしもし」に対してどのような見解を持っているだろうか?
責任者、呼んでこ~い!

実は子供の頃から、この「もしもし」には非常に違和感を感じていた。
誰にも言えず、悶々としていたのだ。

あぁ。
やっと言えた。
やっと胸のつかえがとれた。
これで、心置きなく電話できる。
そして、心置きなく言える。

「もしも~し!」。