榎土敦之のコラム「親子丼」

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親子丼

先日、わりと久しぶりに親子丼を食べた。
みなさん御存知のとおり、鳥肉やらを卵でとじたアレである。

おそらくと言うか、ほとんどその関係からしての親子丼であろうが、
ふと、思ってしまったのである。

(これ、本当の親子だったら、どうしよう)

もし、本当の親子だったら、ものすごくひどい罪を犯してしまった気になってしまうではないか。
なんてったって、親と子をまとめて食べちゃってるんだから。

魚系では「子持ちししゃも」とか「蟹」とか「海老」等で、わりと普通な感じではあるが、陸上の動物となると、実の親子をたいらげるなんてことは、なかなかない。
前者の場合、特に気にもせずおいしく頂くのだが、後者はどうか。

いくら卵とはいえ、一旦産んでしまったら、まさしく“子”だ。
それだけを食べるのではなく、親までもだ。
「せめて子供だけは…」なんて親心、全くの無視だ。

ここで気になるのが、どちらからシメちまったかだ。
親か?子か?
まさか親の目の前で、子からなんて、人情のかけらもないことはしてないとは思うが。
ってことは、親か。
わが子の将来を案ずるまま、無念の生涯を閉じた親に、哀悼の意を表するかぎりである。

とまぁ、あくまでも実の親子の場合の話ではあるが。
ほとんどと言うか、確実に親子ではないと考えられるよね。
つまり、他人だ。

ん?

他人じゃん! 親子じゃないじゃん!
他人丼か!
いや、他人丼とは、豚肉を卵とじにしたものだ。

ならば、目の前の親子丼内での二者の関係は、どう表現すればいい!?

まずは、熱いうちに食べきって、ゆっくり考えることとした。

おいしかった。