榎土敦之のコラム「食べれる」

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食べれる

ものすごいモノがあった。

「食べれるクレヨン」だ。

クレヨンと言えば、アレ。 あのクレヨンである。
絵を描くための、アレである。

では何故、「食べれる」のか。
というか、食べる必要があるのか。

そういえば千歳空港に、スルメでできたビアジョッキがあったな。
あれも、食べれるって書いてあったな。
ビールがイカ臭くなるらしいけど。

んなこたぁ、どうでもいい。
クレヨンだ。
たぶん、もうおわかりだと思うが、「誤って食べてしまっても体に害の無いクレヨン」という意味だ。
「おなかが空いたら食べちゃってください、このクレヨン」という意味ではない。

にしては、ネーミングが微妙だ。
「クレヨン(人畜無害)」でいいじゃないか。
こう言われちゃうと、なんだか空腹を満たしたくなる。
もっと言うと、おそらく腐るってことがないだろうから(ちなみに賞味期限はないらしい)、非常食に使えるかもしれない。

関東大震災みたいなのが来ちゃって、貴重品やらなんやらを持って逃げたとする。
で、一緒にこの「食べれるクレヨン」を持っていく。
もし、避難所で僕がクレヨンを食べたら、どうか。
(榎土さん、頭おかしくなっちゃった)と思われるだろう。
逆に考えれば、強みでもある。
全く食料がない中、一人だけ生き残れる。
しかし、僕はそこまでケチではないので、周りに分け与える。
「どうです? 1本。ぐんじょう色なんか、いいかも」
ま。
ここでも(榎土さん、頭おかしくなっちゃった)と思われるだろうな。

普通の大人だったら、やっちゃいけない。
となると、やっぱり子供用だ。
幼児というものは、とかくいろんなモノを口に入れたがる。
万が一、クレヨンを食べちゃっても問題ないってわけだ。
始めにもどるが、そういう目的の商品だ。

そんなことは、わかっている。
言いたいのは、そんなことではない。

なぜ、あえて「食べれる」にしたのか。
食べれない普通のクレヨンはそんなに危険だったのか。
例えば、子供の生活の中に、モノがクレヨンだけなら意味がある。
そうではない。
ではなぜ、クレヨンでなければいけなかったのか。
もし、自分の子供がクレヨンで絵を描いていて、そのままクレヨンを口にしたらどうか。
「いいのよ。食べちゃいなさい」と言うか。
あえて苦い思いをさせ、クレヨンは食べれないモノだと教えるべきではないか。
クレヨンをくるんでいる紙は、食べれるのか。
「食べれる紙」に「食べれるクレヨン」で描いたら「食べれる絵」になるか。
モーニング娘。はCMでクレヨンをかじりながら笑うか。
将来、自分の子供のお絵かき遠足の時に、おやつを持たせる必要がなくなるか。

他には類をみない「食べれる○○」に、しばし興奮気味だ。

ん~。
なんだか、興奮していたら、腹減ったな。
でも、なんにも食べるものないんだよなぁ。

・・・、あ。